プロフィール

雑記

初めましてメガネにゃんと申します。

このブログは薬学生や私のように未経験で薬剤師になった方向けの記事や
現在の目標である独立までの過程などを書いて楽しんでもらうブログになっています。

私のプロフィールですが、どんな人生を送り、
どんな考え方をしているのかを知っていただければと思います。
長くなっりますが、興味があれば読んでください。

高校以前

静岡県生まれ、静岡県育ち、高校まで住んでいました。
3人姉弟で、末っ子長男、姉2人です。

私が医療の道を志した印象的なエピソードがあるのですが、
中学2年生の時に母方の祖父を胃癌で亡くなくしたことです。
その時のことがショックで(表現があっているかはわからないですが、、、)
あんなに元気だった祖父がしわっしわで、体も小さくなって。

ある日、面会に行こうとしていたら、
急に容体が悪くなり、そのまま体調が戻らず、旅立ちました。
その急展開具合に小さいながらも、ショックを受け、
なんと人は儚いかと思い、病気になった人を助けたい、と思い、医療の道を志します。

高校時代

高校受験は失敗しまして、第一志望ではない第二志望の高校に進学しました。
まあ、いちおう進学校ではありますが。

もともと数学や理科系の教科が得意ということもあり、
高校時代の進路は理系に進むことに。
祖父の事もあり、医療関係に進むことを決断をしました。

姉が薬学部に進学しており、
自分の進む方向性や行きたい学部に悩んでいた時に相談したところ、
医学部に進んだ方がいいとアドバイスをもらいました。

そのアドバイスもあり、医学部を目指すことにしますが、
偏差値全然足りず、現役時代は地方私立大学薬学部に合格しましたが、
医学部進学を希望していたので、浪人することに。

浪人時代

浪人は結局3年間も、東京でしていました。
1浪目は寮に入りましたが、この時代はめちゃくちゃ楽しかったです。
楽しいって感想がでること自体、たぶんダメだと思いますが・・・・・

全国から集まった男だらけの寮だった(笑)ので、
みんなで遊びに行ったり、勉強もしましたが、遊んでもいたな~と思います。

1浪目は両親に申し訳なくて、有名私立大学の理系学部も受験し、
合格したという事実は作っておきました。
田舎なので、浪人して合格した大学がないと肩身が狭いのです。。。
ただ、行きたいと思える大学は合格しなかったので、そのまま2浪目に。

2浪目は1浪目と違う寮に入りました。
この寮は東大京大コース、医学部コースの学生しか入れない寮だったので、
めちゃくちゃレベルが高かったです。
正直みんな現役で東大受かるような実力者ばかりだったので、すごかったです。
ただ、ここでも私の悪い癖がでてしまいました。。。
勉強しない友達とつるんでしまという。。。。
合格する人と比較すると勉強量は圧倒的に少なかったでしょう。。。。
2浪目はセンター試験利用で受験する滑り止めを1校にして、
あとは合格したら進学するところだけ受験するという形が受験校を決定しました。
その結果、見事にセンター試験で失敗し、
そのままどこも合格しなくて初めて、合格した大学がないという状態に。。。

この時は本当に凹みました。
自分の中では2浪目までは覚悟していたのですが、
3浪目は覚悟していなかったので・・・・
まあ、けどどこにも合格できなかったので結局3浪することになりましたが。

3浪目はそれまでの反省で寮に入ると勉強しない友達と仲良くなり、
(たんなる言い訳ですが・・・・・)
それに引っ張られるというよくない点があることに気が付いたので、
レオパレスで1人暮らしをすることに。
最終的には数学・物理・化学の偏差値はかなり伸びましたが、
最後まで英語の克服ができなかったことが悔やまれます。

国語も大の苦手です。このブログもたぶん、読みにくいと思います。
今から謝っておきます。すみません。

そんなこんなで、3浪目も医学部受験しますが、
結局どこにも合格することはできず、
なんとか合格した地方の国公立大学薬学部に進学することになりました。

両親にはかなり金銭的な負担をかけましたが、本当に感謝しています。

大学・大学院時代

私は薬学部が4年制であった時代の、最後から2番目の年に入学しました。
大学に入学してからは、浪人時代が長かったこともあり、
もう勉強はいいかな~となって、サークル活動に注力しました。
本当に大学4年間はサークル活動の記憶しかないです。
飲んでいた記憶かサークルかみたいな。。。。

私が所属していたサークルは何をするかと言えば、新入生が4月に入学した際に、
色々とイベントを企画して、早く大学生活に慣れるようなお手伝いをする、
イベント企画サークルです。
大学祭実行委員会の新入生版って感じです。

自分の大学の学生にアンケートを実施して雑誌を作ったり、
サークル紹介のお祭りを実施したり、立食パーティーを実施したり、
BBQを実施したり、運動会を実施したり などです。

3年生の時には委員長となり、まとめたりもしていました。
本当に楽しかったです。
お酒を飲んでいることが多く、
この頃以上にお酒を飲むことは人生においてもうないと思います(笑)(笑)

アルバイトは低学年の時は映画館で働いていました。
学年が上がるにつれて実習などで厳しくなり、映画館は辞めて、家庭教師だけでしたが、
研究室に配属された4年生の時には、時間を作ることが難しくなり、
辞めてしまいました。

一方勉強は全然していません。本当にしていません。
まじでしていません。ただ、留年だけはしなかったです。

どれだけ勉強していなかったかと言うと、
学校内での成績順位は、下から1割に入ってました。
追試ばかり受けてたので当然ですが。。。。
今となっては本当にもっと勉強しておけばよかったと思っています。

4年生から全員研究室に配属されますが、
私が入った研究室は、研究をしっかりやるところで、
約12時間くらいは研究室に滞在するというような、暗黙の了解みたいのがありました
明言もされていませんし、12時間いなくても大丈夫ですが、そういう気概でって感じです。

大学入学時、薬学部に入ったが、薬剤師になろうと思っていなく、
正確には免許を使う仕事は向いていないなと思っていて、、、
製薬会社に行きたい(研究開発)と思っていたため、大学院に進もうと決めていました。
研究開発に就職するには最低大学院修士卒が必要だったため、大学院進学を決めます。

大学院の受験ですが、
見事に第一志望の(4年生の時に配属された)研究室に落ち、
第二志望の研究室に配属されました。
ここでも受験失敗するという。。。。勉強苦手なんですね(笑)

ただ、大学院時代の2年間所属した研究室では、後輩に恵まれ、とても充実してました。
4年生の時に所属していた研究室より
大学院の時に所属していた研究室の方が気に入ってます。
いいモラトリアム期間でした。

製薬会社勤務(臨床開発職)時代

就職活動は製薬会社をメインで考えていましたが、
研究室時代に自分は研究に向いていないと感じたので、
臨床開発職を希望することに。

たぶん40社くらい応募したと思いますが、
なんとか受かった製薬会社でモニター職として働きだしました。
全然、書類通過しないし、2次選考に進まなかったので、
この時期はかなり酒量が増えています(笑))
開発職は出張が多い職業ですが、内勤もかなり多く、
自分の携わった医薬品が市場に出て、患者様の健康に貢献するのはとてもいい職業だと思います。

本当にホワイトな働き方ができたので超絶オススメの職業です。
ただ、開発職は携わった薬が市場に出るまでには数年~数十年くらいかかり、
また、効果や安全性がよくなく、市場に出ない品目もあります。
そのため、短期的な結果や目に見える結果が欲しい人には向いていないかもしれません。

薬剤師免許は学生時代に取得することができず、
会社員1年目の時になんとか無事取得することができました。
この時のことはまたいつかブログで書きたいと思います。

社会人になり、ある程度お金を持つようになると、飲み歩く日が増えてきました。
出張も多いため、1人で出張先の飲み屋に行ったり、
名古屋のバーを新規開拓したりと楽しんでいるうちに、支出がみるみる増加。。。

そのため、副業しようと思いたち、
ネットで検索して家でも会社員でも出来そうな副業として
アパレルの輸入販売を開始しました。
すごく簡単に言うと、言葉悪いですが、転売ヤーです。

やってみると、ある程度は稼げるのですが、
作業量が半端なくて、もう大変でした。
アルバイトをした方が時給は高いんじゃないかってくらいの金額で働いていましたし。
そのまま1年くらい続けたところで、ある程度稼げていたので、
このままフルコミットしたら、ある程度いけるんじゃないか?
と思うようになり会社を辞め、アパレルの輸入販売業で個人事業主として働くことに。

アパレル輸入販売業・個人事業主時代

会社を辞める時には1年間挑戦してみて、
利益30万をこえなければサラリーマンに戻る
という期限を決めての決断でした。
そのため期間を決めての開始でしたが、
結局1年後にはその額に達せなくてサラリーマンに戻りました。

正直、今考えると行動量が全然足りていなかったと思いますし、
インターネットで販売していたので、
新しいことを次々試していかないと難しい業界だったため、
それが出来ていなかったのが反省点です。
できない理由を並べてやらなかったことは反省です。

個人事業主になるとサラリーマンの時のように時間が限られていないため、
何でも時間を区切って、というような意識が低かったのも敗因です。

ただ、この時には、ビジネスの師匠となる方に師事し、
色々教えていただき、今でもその教えはタメになっています。
色々教えていただいたが、期待に答えられなかったことは本当に後悔しています。

この時期に師匠からもらった言葉の数々、
「現状維持は衰退」「死ぬこと以外はかすり傷」などは
今でも大事にしているし、意識している言葉です。

そして、調剤薬局薬剤師に

1年という期限を区切って目標に達成できなかったので、
個人事業主を辞めることになり、サラリーマンに戻ることにしました。
元の製薬会社の臨床開発職に戻ってもよかったですが、
薬剤師免許を使って、臨床現場を見てみたい・地元に戻る選択肢もできる
と思い、免許を使う職に。

実際、臨床の現場に入ってみて驚いたことは、
私が学生実習をしていた頃とは薬局内でやる事が大きく変わっていたことです。

私が学生の頃はまだまだ、薬をただ渡すだけの時代でした。
在宅や薬局でのイベントなどあまりやっていませんでしたし、
正直、期待せずに薬剤師として働きだしたので、衝撃的でもあり、面白い。

就職した先は県内に数十店舗ほどある会社だったので、
数店舗回らせていただいたり、新卒採用に関わらせていただいたり、
インターンシップにも関わらせていただきました。
店舗業務以外も携われて楽しかったです。

次の高みへ

新店舗の立ち上げや管理薬剤師を数年経験し、
会社の社内政治に振り回されたりし、悔しい思いもしました。

薬の知識は全然ありませんが、個人事業主をしていた経験や
製薬会社でサラリーマンをしていた経験もあり、
大学卒業後すぐに薬剤師になった方とはバックボーンが違います。
そのため、違う視点で薬剤師業界・薬局業界を見れています。

今後は自分の望む薬局や望む薬剤師として働くことを目標に
独立してみたいと思いますが、どうなるかわかりません。
調剤薬局業界は今後さらに厳しくなることは目に見えているため、
独立が失敗するかもしれませんし、そもそも独立できるかもわかりません。

そんな、わからないことだらけの世界に挑戦したいと思います。
もし、独立することになった際には、ここにその過程を書いていくので、
参考にしていただければ幸いです。

夢は大きく、どうなるかわからない道を歩む。
ワクワクしてきますよね。
そんな次のステージを早く味わうためにいつでも独立できる準備をしたいと思います。

とーーーーっても長かったですが、私のプロフィールを記載してみました。
へーとか、ほーとかでましたかね?いや、本当に、受験失敗し過ぎじゃね?
って感想ですかね?
長かったですが、お読みいただきありがとうございました。

それでは、こんなメガネにゃんですがよろしくお願いしま~す。

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