薬学生時代について①学生生活と静岡東京自転車の旅

学生

クレジットカードの不正請求があると思って、クレジットカード会社に連絡し、
新しいカードを再発行したのですが、後日、
その請求が正しい請求だったことが判明し、マジかよってなったメガネにゃんです。
ダメ、不正使用。

いや、youtubeプレミアムの請求がグーグルプレイって名前になっていて、
そこがつながらなったです。やってしまったー

さて、今日は、私の大学時代の話について書いていきたいと思います。
本当に勉強していなかったし、勉強ができなかったので、
こんな人でも薬剤師になれるのか、と思ってもらえたら幸いです。
特に今回は学生生活についてどんな感じで生活していたかを語りたいと思います。
もし、高校生で読んでいる人がいたら(数人だろうけど)、これはあまりよくない例なので、
そんなに勉強しなくてもいいのかと思わないでくださいね。

学生生活について

私のプロフィールを読んでくれた方は何となく知っているかと思いますが、
私は薬学部が4年制の最後から2番目に入学し、大学院を卒業しました。

サークル

大学3年生の夏くらいまでは、所属していたサークルにめちゃくちゃ力を入れていて、
ほぼ毎日部室?に顔を出していました。
サークルは毎年4~6月に新入生向けにイベントを複数企画するサークルでした。
新入生が早く大学生活に慣れるように、手助けしたり、
友達を作る機会を増やすイベントを運営する委員会でした。

そのため、イベント企画・立案・実行を主に行っており、
僕たちはそれを仕事と感じいたので、
サークルに対して時間を作れない人は辞めろとよく口にしていました。
イベントの数も5つくらいあり、だいたい10月から本格的に活動します。
直前の3月などは本当に忙しくなっていました。
今思うと、もう少し心に余裕をもってやってよかったのに・・・とは思いますが、
若気の至りですかね?しょっちゅう、バイトをよく入れている同僚と
バチバチしていました。
面白くない案や詳細を話し合っていない案に対しても意見をガンガン突っ込んでるし。。。

そのこともあり、2年生の時には陰で後輩から「鬼」と呼ばれていました。
ミーティングでも、私から何も意見でてないから大丈夫じゃない
っていうことがささやかれたこともあったみたいです。
(これらのことは、4年生くらいの時に後輩から教えられました。)
それくらい、他人から見たら、真剣に取り組んでいたんです。面白かったから。

そのため、3年生の時には、代表になって、約30人くらいをまとめていました。
と、言っても私は何もせずに基本的には適材適所に人を選んで、命令していただけです。
代表になる時、後輩からの指名制でしたが、私は厳しすぎるので、
そこを変えてください という注文が入ったことはいい思い出です(笑)。
ただ、イベント後には多くの同期などからよくやったと言われたので、
そこまで酷い代表ではなかったのかと思っています。

勉強・成績

一方、勉強は全然していませんでした。
正直、勉強なんて卒業後にいくらでもできるし、
薬学部の卒業生はずっと勉強するような職に就くでしょ、
大学生の数年間くらい勉強サボってもいいでしょという訳分からない考えと、
ただ、単純に勉強がつまらなくてやってませんでした。
試験期間中には、よくゲームしてましたね。ウイニングイレブンやっていました。

試験には、友人からもらったり、先輩からもらった過去問をひたすらコピーして
勉強して挑んでました、、、、が、、、、
勉強時間もそこまで取らず、睡眠時間もしっかり8~10時間くらいはとっていたので、
ほぼ、数教科しか、しっかり勉強できていなかったです。
その状態で試験に挑んでいたので、再試祭りの状態。
大体、定期試験のたびに再試が5個くらい?もっとあったかな?
何とかストレートで進級できてよかったです。
まあ、ほとんどの成績が可です。優は1年生の時の一般教養くらいです。

大学は国公立大学だったので、落とす試験って感じではなかく、
先生方も優しかったです。
本試と再試が似てる似てる。いい時代でした。
そのおかげで、何とか卒業できました。

国家試験対策の模試も、成績下位で、補習を受けさせられる組でした。
その補習を受けている人は落ちやすいという噂?過去のデータがあるくらいの、
成績下位グループです。
私は約100人中90番くらいの成績だったので、
私の学生生活の成績はわかるかと思います。
まあ、実際、私は国家試験を4回も受けていますし。
この4回受験した国家試験についても、いつか記事にします。

大学院

そんなこんなで、学生時代は全然勉強していませんでした。
ただ、大学入学時から卒業後は、製薬会社の研究系に就職しようと思っていたので、
大学院に行く気でいました。そのこともあり、研究室選びの際には、
実験をとてもやる研究室を選択しました。
(大学の内情を暴露すると、私が通っていた大学は、実験をがっつりやる研究室と
実験はそこまでという研究室に分かれていました。)

そのため、研究室に所属した4年生からは研究をしっかりやって、
1日12時間くらい学校にいました。ちゃんと土曜日も通学していたので、
実質、休みは日曜日だけでしたし。
(土曜日通学は所属する研究室の考えによって変わるが・・・)

大学院への進学にはテスト・受験があり、私も受けたのですが、
通常は4年生の時に所属していた研究室と同じ研究室に進むのが当然なんですが、
外部(他大学)から私の所属していた研究室希望の人がいて、
その人にテストで負けてしまい、私は大学院では4年生の時に所属した研究室とは違う
研究室に大学院では進むことになりました。

ただ、この研究室は私が大学院に進学したと同時にできた研究室でもあり、
実験をいっぱいやるような考えの先生だったので、
同様に、研究もしましたし、後輩にも恵まれて、とても楽しかったです。

この研究室生活で、実験は自分に向いていないとわかったので、
卒業後の進路しては開発職を選びましたが。。

アルバイト

学生時代のアルバイトですが、
私は1年生の時は映画館でアルバイトしてました。
趣味と実益を兼ね備えたバイトです。アルバイト入ってない時はよく映画観ました。
2年生以降は実習でちょっとずつ大変になったので、
家庭教師と派遣バイト・単発バイトをしていたくらいです。
正直、仕送りが結構あったので、アルバイトを詰め込まないといけない
という状況ではなかったです。

この点と3浪させていただいた点は両親に感謝してもしきれないです。

静岡東京往復自転車の旅

大学時代のサークル以外の思い出深いエピソードとしては、2年生の夏に
実家のある静岡から東京まで自転車で往復したことです。

本当は友人のいる仙台まで行く予定だったんですが、追試が入ってしまって(笑)。
夏休みは1ヵ月ある予定でしたが、追試の日程上2週間になってしまい、
安全をとって、予定地を東京に変更しました。

まだ、スマホもない時代だったので、グーグルマップではなく、
紙の地図を見て、行ったものです。
夕方、道に迷った時はかなり焦りましたが。。。
行きは熱海の山を越えて、帰りは箱根を登りました。
どちらも大変でしたが、箱根は特に大変でした。坂道が長い長い。
ただ、箱根を越えて、下り坂になった時の風の気持ちよさは
今でも忘れないくらいの爽快さがありました。
自転車が壊れるんじゃないかっていうくらい回転してスピードでてましたが。。。
あれを経験すると、苦しいことを乗り越えた後の達成感のすごさを感じました。

この旅は、野宿しても生きていけるように、夏に実施しましたが、
自販機やコンビニが数キロない箇所もあり、水分補給が。。。。
本当に命がけだったかも。。。
実際、野宿しましたが、全然寝れなかったですし。
急に雨が大量に降って、雨合羽を着ながら自転車をこいだりもしました。

行きも帰りも静岡⇔東京は約2日で行けて、東京の友人の家を転々として、
飲み歩きつつ、自転車移動しているのを笑っていました。
友人も静岡から自転車で来たと言うと笑ってましたし。
渋谷のスクランブル交差点を自転車こいで移動したのは東京で浪人生活をしていた
私としてはかなり感慨深かったです。

私の人生で大学受験のための浪人生活3年間・
アパレル輸入販売業での個人事業主はかなり精神的に成長しましたが、
この自転車の旅でも成長しました。
今となっては仙台まで行っておけばよかったと思うくらいです。

以上、私の学生生活についてと記憶に深く刻まれている自転車の旅についてでした。
じゃあ、またね~

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